富樫 幸千代(とがし こうちよ)は、室町時代後期の武将。富樫氏22代当主[1]。
富樫成春の次男として誕生。文明5年(1473年)、応仁の乱の影響で兄・政親と争い真宗高田派や甲斐敏光と結んで勝利した。しかし翌6年(1474年)、本願寺と結んだ政親に加賀国から追放された。これ以降、一向一揆と結び再三加賀に侵入しては戦った。
元服したかも定かでなく、その後の詳細は不明である。文明8年(1476年)9月には加賀半国を与えられたという説もある。多くの場合、文明6年に蓮如を指導者とし、本願寺系の門末を主力とした、攻戦的な面を帯びる初めての一向一揆により敗死したとされる。
脚注
- ^ (富樫高家)から数えると13代当主。