宣公(せんこう、生年不詳 - 紀元前591年)は、春秋時代の魯の君主。名は俀(たい)または倭(い)[1]。文公の子で、文公の後を受けて魯国の君主となった。在位18年。
文公は正夫人の姜氏との間に2人の公子があったが、東門襄仲(公子遂、荘公の子)が文公の第二夫人の敬嬴と私通しており、姜氏の2人の公子を殺して敬嬴の子の俀を立てた。姜氏は実家の斉に帰った[2]。当時はすでに三桓氏が政治の実権を握っており、襄仲の子の公孫帰父は晋の力を借りて三桓氏を除こうとしたが、晋に滞在中に宣公が亡くなったために失敗した。公孫帰父は斉に逃れた[3]。
脚注
参考文献
- 陸峻嶺、林幹合編、『中国歴代各族紀年表』、1982年、台北、木鐸出版社