概要 1352年(正平7年)、矢島氏の開基である。矢島氏は新田政義の三男(矢島信氏)の子孫であり、宗良親王を奉じて南朝方として、北朝方の室町幕府と戦っていた。しかし敗北を喫し、当地に落ち延びたのが起源とされている[2]。
矢島氏の菩提寺だったことから、別名「矢島寺」と呼ばれており、現在でも檀家の半数以上が矢島姓だという[3]。
当寺の寺勢は浮き沈みが激しく、幾度も中興を繰り返している。明治以降も梅照院の兼務寺になったこともある[2]。
交通アクセス脚注 [脚注の使い方]
- ^ a b 中野区史跡研究会 編『中野区史跡散歩 (東京史跡ガイド14)』学生社、1992年、152-154p
- ^ 実相院の歴史実相院
参考文献 - 中野区史跡研究会 編『中野区史跡散歩 (東京史跡ガイド14)』学生社、1992年
- 「下沼袋村 実相院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ123多磨郡ノ35、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):763995/31。
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