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宇多田藤右衛門

宇多田 藤右衛門(うただ とうえもん)は、戦国時代 から安土桃山時代にかけての武士毛利氏の家臣。初名は飛落小次郎

 
宇多田藤右衛門
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正8年4月14日1580年5月27日
改名 飛落小次郎→宇多田藤右衛門尉
主君 毛利輝元
氏族 (宇多田氏)
(元次)
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生涯

初めは「飛落小次郎」と名乗っており、毛利氏の鉄砲放(鉄砲隊)に所属した。宇多田藤右衛門の詳しい出自は不明であるが、同じく毛利氏の鉄砲隊に所属し(第二次月山富田城の戦い)等で活躍した(飛落元吉)(七郎右衛門)という人物がおり、藤右衛門の親類と考えられる。

永禄12年(1569年)の立花城の戦いで毛利氏は大友氏立花城を攻略し、この戦いで(市川久栄)、(岡元良)、悪小次郎などが鉄砲で活躍したが、これに藤右衛門も従軍しており、同年5月6日大友氏の攻撃を受けた際には、(多賀山通定)の陣において敵2人を射ち伏せた。この武功を多賀山通定が(福原貞俊)に報告し、翌日に福原貞俊から後日の注進のための念書を与えられた[1]。また、同年5月18日多々良浜の戦いで、大友氏の戸次鑑連(立花道雪)らが毛利氏の宍戸隆家、多賀山通定、山内隆通楢崎信景椋梨弘平らの陣を襲撃した際に、藤右衛門は楢崎信景の陣で敵2人を射ち伏せ、5月20日に福原貞俊から再び後日の注進の為の念書を与えられている[2]

永禄13年(元亀元年、1570年)、尼子勝久山中幸盛らによる尼子氏再興軍を攻撃するための毛利輝元の(出雲遠征)に従軍。同年2月6日出雲国島根郡桜崎における合戦において(鍛冶屋彦四郎)を討ち取り、他にも敵一人を鉄砲で射ち伏せる武功を挙げ、翌日に天野隆重に賞された[3]。その後月山富田城に籠城し、同年6月8日に天野隆重は児玉元良に書状を送り、藤右衛門に知行等を与えるよう求めている[4]

天正5年(1577年7月21日讃岐国(元吉城)麓における三好氏との合戦で、騎馬武者1人、陸立1人を討ち取った。この武功を同年11月2日児玉就英が児玉元良に報告し、褒美を与えるよう述べている[5][6]。また、年不詳ではあるが、2月28日付で、藤右衛門の鉄砲での武功を(東誠幸)と(長元信)が賞し、藤右衛門の武功が比類無きものであることを児玉元良に報告するので安心するように述べる連署の書状が『閥閲録』に収められている[7]

これら長年の武功に対し、天正6年(1578年9月12日国司元武、児玉元良、(粟屋元真)の連署奉書によって10石の地を与えられた[8]。天正8年(1580年)には輝元の備中出陣に従軍したが、(虎倉城)攻撃の途上の同年4月14日に下加茂の山中において伊賀久隆の強襲を受け、毛利軍は先鋒部隊の将であった粟屋元信を始めとして(児玉元房)、井上元勝奈古屋元賀、(小寺就武)、(三戸元好)などが討ち取られる大敗を喫し、藤右衛門もこの戦いで戦死した((加茂崩れ))。輝元はこの戦いで戦死した者たちの遺族らに弔辞を述べ哀悼の意を示しているが、藤右衛門の戦死を知った輝元は児玉元良へ書状を出し、藤右衛門の遺児である(元次)(当時は宇多田右衛門丸)によくよく言い聞かすよう命じた[9]。これを受けて児玉元良は元次に書状を送り、藤右衛門戦死の報に加え、輝元から御書と御詞があったことを報せ、今後は藤右衛門と同様に等閑なく相談するようにと言い聞かせた[10]。さらに一手の大将を務め負傷した神田元忠も元次に書状を出しており、今後の元次について少しも忘却することはないと述べている[11]

その後、藤右衛門の後を子の(元次)が継いだ後も宇多田氏は毛利氏に仕え続け、元次以降は、(十兵衛)(善四郎)、(政勝)(十兵衛、勘之允。元禄13年9月13日1700年10月24日)没)、(生亨)(十兵衛、采女、太郎左衛門、神右衛門)と続いている。

参考文献

出典

  1. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」3号、永禄12年5月7日付 宇多田藤右衛門尉宛て 福原貞俊書状。
  2. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」5号、永禄12年5月20日付 飛落小次郎宛て 福原貞俊書状。
  3. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」1号、(永禄13年)2月7日付 飛落小次郎宛て 天野隆重書状。
  4. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」7号、(元亀元年)6月8日付 児玉元良宛て 天野隆重書状。
  5. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」4号、(天正5年)11月2日付 児玉元良宛て 児玉就英書状。
  6. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」6号、(天正5年)11月2日付 児玉元良宛て 児玉就英書状。
  7. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」2号、年不詳2月28日付 飛落小次郎宛て 東誠幸・長元信連署状。
  8. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」8号、天正6年9月12日付 宇多田藤宇右衛門尉宛て 国司元武・児玉元良・粟屋就真連署奉書。
  9. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」9号、(天正8年)4月16日付 児玉元良宛て 毛利輝元書状。
  10. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」10号、(天正8年)4月16日付 宇多田元次宛て 児玉元良書状。
  11. ^ 『閥閲録』巻61「宇多田十兵衛」11号、(天正8年)4月18日付 宇多田元次宛て 神田元忠書状。
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