姉小路 実世(あねがこうじ さねよ)は、鎌倉時代初期から中期にかけての公卿。権大納言・姉小路公宣の長男。官位は正二位・権中納言。(姉小路家(閑院流))2代当主。
経歴
承元2年(1208年)従五位下に叙爵し、建保2年(1214年)侍従に任ぜられる。建保5年(1217年)従五位上に進み、(阿波介)・左近衛少将を歴任する。
承久3年(1221年)正五位下、続けて従四位下に昇る。貞応元年(1222年)左近衛中将に転じ、翌貞応2年(1223年)従四位上・(近江権守)に叙任される。嘉禄2年(1226年)皇太后権亮を兼ね、翌嘉禄3年(1227年)正四位下・蔵人頭に進む。寛喜2年(1230年)参議に任ぜられ公卿に列し、翌寛喜3年(1231年)阿波権守を兼任。寛喜4年(1232年)従三位に叙された。
文暦2年(1235年)正三位・権中納言に叙任される。嘉禎3年(1237年)従二位に進む。暦仁2年(1239年)正二位に叙されるが、翌仁治元年(1240年)停任され、正嘉元年(1257年)出家。文永元年(1264年)61歳で薨去。
寛喜元年(1229年)10月に火災が発生し、実世の家が焼失[2]。さらに寛喜3年(1231年)には嫡男の(公綱)が卒去するなど不幸に見舞われた。実世も仁治元年(1240年)に不仕によって停任され、そのまま出家した。そのため、姉小路家の当主は弟の実尚が受け継ぐこととなった。
官歴
※以下、『公卿補任』の記載に従う。
- 承元2年(1208年)11月14日:従五位下に叙爵。
- 建保2年(1214年)正月14日:侍従に任ず。
- 建保5年(1217年)正月2日:従五位上に叙す。
- 建保6年(1218年)正月13日:阿波介に任ず。
- 建保7年(1219年)正月22日:左近衛少将に任ず。
- 承久3年(1221年)正月13日:正五位下に叙す(臨時)。11月29日(1222年1月12日):従四位下に叙す。少将如元。
- 貞応元年(1222年)11月15日:左近衛中将に転ず。
- 貞応2年(1223年)正月27日:近江権守を兼ぬ。3月15日:従四位上に叙す(中宮入内。父讓)。
- 嘉禄元年(1225年)7月24日:復任す(父)。
- 嘉禄2年(1226年)8月14日:皇太后権亮を兼ぬ。
- 嘉禄3年(1227年)正月5日:正四位下に叙す(臨時)。4月7日:蔵人頭に補す。
- 寛喜2年(1230年)正月4日:参議に任ず。左中将如元。
- 寛喜3年(1231年)正月29日:阿波権守を兼ぬ。
- 寛喜4年(1232年)正月5日:従三位に叙す(臨時)。
- 文暦2年(1235年)正月30日:正三位に叙す。8月30日:権中納言に任ず。
- 嘉禎3年(1237年)正月30日:勅授。9月15日:従二位に叙す。
- 暦仁2年(1239年)正月5日:正二位に叙す。
- 仁治元年(1240年)9月26日:停任。
- 正嘉元年(1257年)8月:出家。
- 文永元年(1264年)11月1日:薨去。享年61。または60。