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姉倉比売神社(あねくらひめじんじゃ)は、富山県富山市にある神社である。姉倉姫神社とも表記する。古墳の上に建造されている。
富山市内に同名社が2社(呉羽姫本、舟倉)あり、どちらも式内社「越中国婦負郡 姉倉比売神社」の論社となっている。どちらも旧社格は村社。
祭神
祭神は(姉倉比売神)(あねくらひめのかみ)である。両社の社伝を総合すると、姉倉比売神は一帯の賊を征伐して、船倉山に居を構えて統治し、地元民に農耕、養蚕、機織などを広めた。「泉達録」では、姉倉比売神は能登の(伊須流伎比古神)(伊須流岐比古神社の祭神)と夫婦であったが、伊須流伎比古神は仙木山の(能登比咩神)((能登比咩神社)の祭神)と契りを交わしてしまった。怒った姉倉比売神は船倉山の石を投げつくして能登比咩神を攻撃し、姉倉比売神の妹の(布倉比売神)もそれに加勢し、高志国は大乱となった。出雲の大己貴命が高御産巣日神の命によって高志国に赴き、集まった五柱の神々と共にその乱を鎮圧した。姉倉比売神は混乱を引き起こした罰として、領地を没収されて呉羽小竹に流され、土地の女性たちに機織を教えるよう命じられたという。布倉比売神も同様の罰を負った。また、大己貴命達は残った二神を攻め上げ、最後は伊須流伎比古神と能登比咩神を浜辺で処罰した。
「婦負郡」という地名は姉倉比売神にちなむものであり、「呉羽」の地名も機織に関係のあるものである。
外部リンク
- 姉倉比賣神社 公式サイト