妙蓮寺(みょうれんじ)は、京都府京都市上京区にある、本門法華宗の大本山。山号は卯木山(うぼくさん)。塔頭が8院ある(恵光院、玉龍院、本光院、円常院、堅樹院、慈詮院、本妙院、常住院)。寺紋は(丸に三つ紅葉)。
歴史
妙蓮寺は鎌倉時代の僧日像によって創建された。日像は日朗(日蓮の高弟)に師事し、後に日蓮の遺命を受けて帝都における布教に努めた。五条西洞院(現京都市中京区)の酒屋(柳屋仲興)は日像に帰依し、永仁2年(1294年)、その夫人(妙蓮法尼)によって邸内に法華堂が建立され、妙法蓮華寺と号した[1]。寺はその後荒廃したが、応永年間(1394年 - 1428年)、日慶により四条大宮(現:京都市下京区四条大宮町付近)に再興され、寺号を妙蓮寺とした。その後、公家の庭田重有の子・日応を住持に迎えた。
妙蓮寺は天文5年(1536年)、天文法華の乱で焼失し、堺に避難するが、天文11年(1542年)、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、妙蓮寺は同年大宮元誓願寺通(現京都市上京区)に伽藍を再建した。同地付近には「元妙蓮寺町」の町名が残る。
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の命により、現在地に移転。享保15年(1730年)の西陣焼けでは、本堂、祖師堂などの主要堂宇は焼け残ったが、天明8年(1788年)の天明の大火により伽藍を焼失。寛政元年(1789年)再建された[2]。
卯木山(うぼくさん)の由来は「柳」の文字から。
文化財
- 重要文化財(国指定)
- 松尾社一切経3545巻(附 経箱38合)
- 1993年(平成5年)に行なわれた、立正大学の史料調査によって平安時代の一切経であることが明らかになった。約3500巻の巻子本の写経が、38合の経箱に収められていた。松尾大社の一切経は、神主の秦氏一族によって発願され、社内の別当寺において書写されたもので、1138年(保延4年)頃に完成した。5000巻余あったものと推測されていたが、この妙蓮寺蔵本が発見されるまでは、僅かに40余巻が現存するだけで、幻の経典であった。書写年代は12世紀であるが、一部に11世紀にさかのぼる見返し絵を持つ経典が混入しており、これは伝来の途上で失われた経巻を、由来の異なる他経で補ったものとされている。妙蓮寺に施入されたのは、1857年(安政4年)のことで、篤信者によって寄進されたものである。
- 奥書院及び玄関の間障壁画 38面 長谷川派
- 紙本金地著色松桜図 一之間 襖貼付8、天袋貼付4
- 紙本金地著色松桜図 二之間 襖貼付8
- 紙本金地著色松杉桜図 脇一之間 襖貼付6
- 紙本金地著色松桜図 玄関之間 襖貼付12
- 附指定:紙本著色柳図 脇二之間 襖貼付4
- 伏見天皇宸翰法華経(沈金箱入り)8巻
- 立正安国論 本阿弥光悦筆
- 始聞仏乗義 本阿弥光悦筆
山門と参道
鐘楼と本堂
本山寺務所
塔頭
交通アクセス
京都市営地下鉄烏丸線鞍馬口駅から徒歩10分。
脚注
参考文献
- 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979
- 河内将芳「中世妙蓮寺の寺地と立地について」、『興風』33号、2021
外部リンク
- 大本山妙蓮寺ホームページ