» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

妙義神社

妙義神社(みょうぎじんじゃ)は、群馬県富岡市にある神社である。旧社格は県社。

妙義神社

本殿・幣殿・拝殿
所在地 群馬県富岡市妙義町妙義6番地
位置 北緯36度18分1.79秒 東経138度45分44.62秒 / 北緯36.3004972度 東経138.7623944度 / 36.3004972; 138.7623944
主祭神 日本武尊
豊受大神
菅原道真公
権大納言長親卿
社格 県社
創建 宣化天皇2年(537年
本殿の様式 権現造
(テンプレートを表示)

概要

上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社である。江戸時代は関東平野の北西に位置し、江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして、家運永久子孫繁昌を願って歴代の徳川将軍家に深く信仰された。

近年は、たびたび大河ドラマロケ地として使用されている。総門をくぐると銅鳥居で、その先に165段の石段があるが、ここは、2005年の『義経』で、牛若丸が修行する鞍馬寺という設定でロケ地になった。また、2009年の『天地人』においても、雲洞庵のシーン撮影は当社で行われた。

2007年の台風による土砂崩れで一部被害が出たため修復が必要となり、本殿につながる階段以降は立ち入り禁止となった際は、波己曽社殿を仮殿と定めていた。復旧工事は2013年12月に完了し、本殿も5年ぶりに一般公開された。

歴史

創建は、宣化天皇2年(537年)と伝わる。

神仏習合時代、妙義神社には別当(神社を管理する寺)として上野寛永寺の末寺である白雲山高顕院石塔寺があった。現在の妙義神社の総門は、明治の初めに廃寺となった石塔寺の仁王門である。神社の総門となった現在も、左右に仁王像が祀られている[1]

現在の社殿は、宝暦年間(1751年 - 1764年)の大改修によるものである。古くは波己曽(はこそ)神社といい、『日本三代実録』に記載がある。

文化財

重要文化財

  • 本殿・幣殿・拝殿(合わせて1棟、権現造
    • 附:神饌所、透塀、棟札、銘札、旧屋根銅瓦
    江戸時代後期(1756年)の建立。本殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造。幣殿、桁行三間、梁間一間、一重、両下造。拝殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風。昭和56年(1981年)6月5日指定。
  • 唐門 - 江戸時代後期(1756年)の建立。桁行一間、梁間一間、平唐門、銅瓦葺。昭和56年(1981年)6月5日指定。
  • 総門(旧白雲山石塔寺の仁王門) - 江戸時代後期(1773年)の建立。三間一戸八脚門、切妻造、銅板葺。昭和56年(1981年)6月5日指定。
  • 紙本著色地蔵菩薩霊験記(東京国立博物館に寄託) - 南北朝時代の作品。昭和34年(1959年)6月27日指定。

群馬県指定重要文化財

  • 随神門・袖廻廊・銅鳥居・石垣
  • 波己曽社殿(旧本殿及び旧神楽殿)

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ “妙義神社総門(旧白雲山石塔寺仁王門)”. ニッポン旅マガジン. 2020年8月2日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 妙義神社公式サイト
  • 群馬県生涯学習センター 妙義神社の文化財
  • 国指定文化財等データベース
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。