歴史
永禄年間(1558年-1569年)円光院(妙安)尼が夫の(行方修理亮義安)討ち死に後、兄の(斉藤政賢)の屋敷内に開創した庵室が起源。天正17年(1589年)池上本門寺、妙本寺両山11世仏寿院日現が玄首院日建を勧請開山として寺に改めた[1]。昭和20年(1945年)東京大空襲で諸堂を焼失する。
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八幡講
明治初年の神仏分離に際して、(蒲田八幡宮)の八幡神像を妙安寺の(七面堂)に移して毎年1月に(八幡講)が行われていた。この像は寺伝によると、右手に軍配、左手に経巻を持つ僧形で、日現が古川薬師安養寺との法論に勝利したことを記念し仁王像とともに持ち帰り、論破の証左として軍配を持たせたとものいう。東京大空襲によるこの像の焼失により八幡講は廃止され、再開されていない。
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脚注
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 新宿村.