太田 資順(おおた すけのぶ)は、江戸時代後期の大名。遠江国掛川藩の第3代藩主。官位は従五位下・(摂津守)。掛川藩太田家7代。
略歴
第2代藩主・太田資愛の次男。明和元年(1764年)12月20日生まれともされる。母は側室と言われている。幼名は正之助。
天明5年(1785年)に長兄の資武が早世したため、世子に選ばれた。文化2年(1805年)の父の死去により跡を継ぎ、翌年には奏者番となった。しかし3年後の文化5年(1808年)10月7日(または10月11日)に47歳で死去し、跡を弟で養嗣子の資言が継いだ。法号は道栄日感大悟院。墓所は静岡県三島市の妙法華寺。
系譜
父母
- 太田資愛(父)
正室、継室
子女
- 永井直与正室
養子
- 太田資言 ー 実弟