子の権現 天龍寺(ねのごんげん てんりゅうじ)は埼玉県飯能市にある天台宗の寺院である。武蔵野三十三観音霊場32番札所[2]。標高640m。正丸峠、伊豆ヶ岳から東側に続く山々の山頂にあり、登山で訪れる者も多い。入口には鳥居があり、神仏習合の寺として知られている。
所在地 | 埼玉県飯能市大字南461番地 |
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位置 | 北緯35度54分27.6秒 東経139度11分19.0秒 / 北緯35.907667度 東経139.188611度座標: 北緯35度54分27.6秒 東経139度11分19.0秒 / 北緯35.907667度 東経139.188611度 |
山号 | 大鱗山[1] |
院号 | 雲洞院[1] |
宗旨 | 天台宗[1] |
本尊 | 十一面観音、子ノ聖 ほか |
創建年 | 911年(延喜11年) |
開山 | 恵聖[1] |
開基 | (子ノ聖) |
中興 | 教海[1] |
正式名 | 大鱗山雲洞院天龍寺 |
札所等 | 武蔵野三十三観音霊場32番札所 |
文化財 | 樹齢800年の二本杉 |
公式サイト | 天台宗特別寺 子ノ権現天龍寺 公式サイト |
法人番号 | 9030005014653 |
天龍寺 天龍寺 (埼玉県) |
歴史
縁起によると、延喜11年(911年)6月13日、(子ノ聖)が初めてこの地に十一面観音を祀り、天龍寺を創建した。その後、弟子の(恵聖)上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立した。 子ノ聖は昇天の折、「我、化縁につきぬれば寂光の本土に帰るべし。然れども、この山に跡を垂れて永く衆生を守らん。我登山の折、魔火のため腰と足を傷め悩めることあり。故に腰より下を病める者、一心に祈らば、その験を得せしめん」と誓いをたてた。以来、足腰守護の神仏として信仰されている。[3] その後出羽国羽黒山末として、法子相続をしてきたが、宝永2年(1705年)輪王寺宮の末寺となり、明治元年(1868年)維新の改変により延暦寺末となった。[4]
足腰守護と鉄の大わらじ
古くから足腰守護の神仏として広く信仰を集め、本尊へ履物を奉納し、各自の願をかける慣しがあり、境内にある重さ2トンある日本一の鉄わらじは、その信仰的シンボルとされている。現在も祈念のため、数多くのわらじや履物が掲げられている。[5] 足腰の調子が良くない者を始め、古くは人力車、荷車関係者、農林漁業従事者、相撲力士、陸上競技・野球・サッカー・バスケット・スポーツサイクルなどのスポーツ関係者、トレイルラン・ハイキング愛好者が年間を通じてお参りを行う。 近年では、人間の足を転じて自動車や自転車・バイクの無事故交通安全を祈願する者も多い。 [3]
その他
埼玉県天然記念物に指定された樹齢800年の二本杉、仁王像、本堂、本坊、見晴らし処などがある。[6] 漫画ヤマノススメにも登場した。[7]
本堂
鉄わらじ
仁王像
境内からの眺望
アクセス
- 国道299号から南方への道(埼玉県道395号南川上名栗線。全面舗装)
- (埼玉県道飯能名栗線)から看板に沿った道路(埼玉県道395号南川上名栗線。全面舗装)
- 駐車場もある
- 吾野駅、西吾野駅から徒歩約90分(ハイキング道)
付近の山、寺社
脚注
参考文献
- 「中澤組 天龍寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ247秩父郡ノ2、内務省地理局、1884年6月。(NDLJP):764013/22。
外部リンク
- 天台宗特別寺 子ノ権現天龍寺 公式ページ
- 武蔵野三十三観音霊場 公式ホームページ
- 飯能市ホームページ 子ノ権現