西暦等との対照表出典 - 『金史』巻14 本紀第14 宣宗上 貞祐3年冬10月条
- 遼東賊蒲鮮万奴僭号、改元天泰。
- 『朝鮮王朝実録』巻185 成宗16年乙巳11月条
- 庚申、永安道穏城得古印一事以進。其一面書『天泰四年月日』。伝曰『令弘文館考年号以啓』[1]。
- 「天泰八年二月分四品印二寸三分二厘五毫官」と記された青銅板[2]
下記二つは後代の出土遺物であり、史料上には記載のほとんどない「天泰」の元号が遅くとも八年(1222年)まで続いていたことを立証する[3]。
脚注 - ^ 岩井1932,32-33頁
- ^ 明治42年に京都帝国大学事務官の鈴木信太郎が問島地方を調査中に取得し、後に内藤湖南に寄贈したもの(岩井1932,45頁)
- ^ 岩井1932,34頁
参考文献 - 李崇智『中国歴代年号考』(北京:中華書局、2001年1月) (ISBN 7101025129) 191ページ。
- 岩井大慧「[1] 蒲鮮万奴国号考」『東洋学報』第19巻4号、1932年
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