大阪市立春日出小学校(おおさかしりつ かすがで しょうがっこう)は、大阪市此花区にある公立小学校。
大阪市立春日出小学校 | |
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北緯34度40分49秒 東経135度27分08秒 / 北緯34.680139度 東経135.452361度座標: 北緯34度40分49秒 東経135度27分08秒 / 北緯34.680139度 東経135.452361度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
校訓 | つながり(連帯感) もちまえ(個性尊重) よろこび(成就感) |
設立年月日 | 1961年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210000321 |
所在地 | 〒554-0022 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
(ウィキポータル 教育) ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
大阪市立梅香小学校の過密化解消のため、1961年に同校から分離して新設開校した。開設当時、2-4年生が梅香小学校より転入した。
開校当時の校長、教頭、教員をはじめ全生徒で、校庭の東北方面の角に「春日山」を土を盛って山を造営した。そこに茅葺の山小屋を移築し周りに土塀、山道を造り、その道端には花々を植えた。楽しい遊び場になった。更に水田も造営した。さらに堺から風車を持ち込み立てた。後には正門裏噴水池に、一時的ではあるがペンギン二頭がやってきた。
音楽教育に熱心で、教頭の音頭とりで鼓笛隊が結成された。毎日の練習とオーディションの成果でレベルが上がり、フェスティバルホールへの出演や此花区大通り(市電通り)での鼓笛隊の演奏行進、阪急西宮球場で行われた阪急ブレーブスのイベントなどに参加した。その後、ブラスバンドの結成へと発展した。
かつて戦前に同名の春日出小学校があったが、学校沿革史上では連続していない。戦前の春日出小学校は明治時代初期の1873年に西成郡第二小区第二番小学校として設置され、のちに大阪市春日出尋常高等小学校・大阪市春日出国民学校などと改称した。しかし1947年の学制改革により、校舎を新制大阪市立此花第一中学校(現在の大阪市立春日出中学校)に転用することになったため、大阪市立四貫島小学校へ統合されて廃校となった。
通学区域
- 大阪市此花区 春日出中1丁目・2丁目、春日出南2丁目の全域。
- 大阪市此花区 春日出中3丁目、春日出南1丁目、春日出南3丁目のそれぞれ一部。
- 区域内には、大手製造業である住友電工や住友化学、クボタ、大阪ガス、日新製鋼などの社宅が多く点在し、その子弟が多く通った。
- 卒業生は大阪市立春日出中学校に進学する。
主な出身者
交通アクセス
近隣
- 朝日神明社 - 朝日・日中・夕日の浪速三明神の一つとして有名であった朝日宮(東区神崎町)と皇太神社(此花区川岸町)を合祀したものである。
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト