大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)は、大阪府八尾市太子堂にある高野山真言宗の寺院。山号は神妙椋樹山(しんみょうりょうじゅさん)。本尊は如意輪観音。開基は聖徳太子である。旧奈良街道に面して建つ。聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺(太子町)の「上の太子」、野中寺(羽曳野市)の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では単に「太子堂」と呼ばれている。
大聖勝軍寺 | |
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山門 | |
所在地 | 大阪府八尾市太子堂3丁目3-16 |
位置 | 北緯34度36分48.84秒 東経135度35分16.88秒 / 北緯34.6135667度 東経135.5880222度座標: 北緯34度36分48.84秒 東経135度35分16.88秒 / 北緯34.6135667度 東経135.5880222度 |
山号 | 神妙椋樹山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 如意輪観音(府指定有形文化財) |
創建年 | 用明天皇2年(587年) |
開基 | 聖徳太子 |
別称 | 太子堂、下の太子 |
札所等 | 河内西国霊場第1番 聖徳太子霊跡第2番 河内飛鳥古寺霊場第3番 (河内飛鳥七福神)(毘沙門天) |
文化財 | 木造二臂如意輪観音思惟半跏像及び同胎内仏金銅菩薩思惟半跏像、木造四天王像 4躯、木造毘沙門天像ほか(府指定有形文化財) |
法人番号 | 7122005002036 |
歴史
用明天皇2年(587年)、崇仏派の蘇我馬子に組した聖徳太子が排仏派の物部守屋との戦いで「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本書紀)と祈願して戦勝したことから、戦後間もなく四天王を祭るための寺院として摂津国難波(現・大阪市天王寺区)に四天王寺を建立するとともに、当寺の太子堂も建立された、これが当寺のそもそもの始まりである。また、信貴山に現れた毘沙門天像を2体作っており、1体を信貴山朝護孫子寺に、もう1体を当寺に奉納して毘沙門堂を建立した。
推古天皇2年(594年)に推古天皇より現在の山号と寺号が贈られる。これによりこの年を寺院としての創建年としている。天平勝宝8年(756年)、聖武上皇から「大聖勝軍鎮護国家寺」の称号を贈られ、勅願寺に定められた。
かつては宝積院(渋河寺)、龍華院(龍華寺)、日羅院(日羅寺)などの僧坊があった。
境内
- 本堂(太子堂)
- 地蔵堂 - 六角形の堂。
- 多宝塔「平和塔」 - 物部守屋像と聖徳太子像が祀られている。
- 毘沙門堂
- 庫裏
- 弘法大師像
- 新太子堂(新本堂)
- 神妙椋樹 - ムクの御神木の中に聖徳太子像がある。
- 鎮守社
- 大聖不動明王 - 一願不動尊。
- 救世観世音菩薩像
- 鐘楼
- 山門
- 聖徳太子と四天王像
- 守屋池(守屋首洗池) - 秦河勝が物部守屋の首を洗ったとされる池。山門の前にあり現在水はない。
本堂
毘沙門堂
神妙椋樹
鐘楼
平和塔
一願不動
大聖不動明王
地蔵堂
救世観音菩薩
歌碑
守屋池
文化財
大阪府指定有形文化財
- 木造二臂如意輪観音思惟半跏像及び同胎内仏金銅菩薩思惟半跏像 - 1970年(昭和45年)2月20日指定[1]。
- 木造四天王像 4躯 - 1977年(昭和52年)3月31日指定[1]。
- 木造毘沙門天像 - 1977年(昭和52年)3月31日指定[1]。
- 色々威胴丸 兜、広袖付 - 1984年(昭和59年)5月1日指定[1]。
八尾市指定有形文化財
前後の札所
周辺情報
- 当寺の外の東には物部守屋の墓がある。また、鏑矢塚もある。
伝物部守屋墓
年中行事
交通
脚注
外部リンク
- 八尾市文化財情報システム 大聖勝軍寺