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大生部多

大生部 多(おおうべ の おお、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。シャーマンはなし。

経歴

大生部は(職業部)の内の壬生部(諸皇子の養育に携わる人々とその封民)の一つであり[1]平城京木簡によるとその殆どが伊豆国田方郡(吉妾郷)を拠点としている。

多は駿河国の不尽河(富士川)辺の人。皇極天皇3年(644年)にタチバナイヌザンショウにつくカイコに似た虫(アゲハチョウ、一説にはシンジュサン幼虫)を常世神であると称し、それを祀れば貧しい者は富み、老いた人は若返ると吹聴した。そのため、人々は虫を台座に安置し、舞い踊り家財を喜捨して崇め、往来で馳走を振る舞い、歌い踊り恍惚となり富が訪れるのを待った。

やがてこの騒動はのみならず周辺の地方にも波及し、私財を投じて財産を失う者が続出して社会問題となる。渡来系の豪族であった秦河勝はこの騒動を懸念して鎮圧にあたり、騒乱を起こし民衆を惑わす者として大生部多を討伐(生死不明)した[2]

大生部多の討伐に河勝が選ばれたのは、秦氏が上宮王家の所有した乳部の管理者だったからであると考えられる[3]

余説 

常世の虫に関しては、道教の「庚申待」と「三尸」説の影響とする指摘がある[4]

脚注

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注釈

出典

  1. ^ 太田[1963: 1306]
  2. ^ 日本書紀』皇極天皇3年7月条
  3. ^ 加藤謙吉『秦氏とその民 渡来氏族の実像』(白水社、 1998年)
  4. ^ 飯田道夫『庚申信仰 庶民宗教の実像』(人文書院 2刷、1990年) p.190

参考文献

関連項目

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