大炊御門 師前(おおいのみかど もろさき)は、幕末・明治期の公家・官吏。右大臣・大炊御門家信の長男。官位は従三位・右近衛権中将。
経歴
安政3年12月22日(1857年1月17日)に叙爵を受け、明治2年3月6日(1869年4月17日)に右近衛権中将、同年7月13日(8月20日)に従三位に叙せられる。
ところが、明治17年(1884年)2月4日に大炊御門家を廃嫡になる(家督は弟の幾麿が継承)。公式の届出は病気を理由とするが、実子・一条実孝によれば祇園での放蕩による2,000円の借財問題と五辻安仲に陥れられたことによるという[1]。
廃嫡後の師前は皇后・一条美子の計らい[2]によって子・実孝と共に山岡鉄舟に剣術を学んでいたが、その腕前を評価した山岡が三島通庸に推挙して警視庁に採用され、明治21年(1888年)には京橋警察署の外勤警部としてその名が記されている。廃嫡後も従三位の位階はそのままであったため、当時の警察では最も位階が高い人物になっていた[3]。その後、間もなく警視庁を辞任しているが、師前が文部大臣森有礼の担当警護官であったことが知られている[1][2]ため、松田敬之は明治22年(1889年)に森が暗殺された責任を取ったのではないか、と推測している[4]。
系譜
脚注
参考文献
- 松田敬之『次男坊たちの江戸時代-公家社会の〈厄介者〉-』(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー246、2008年) (ISBN 978-4-642-05646-5) P39-53 「「公卿剣客」として再起した厄介」
- 有馬頼寧他『公卿・将軍・大名』東西文明社、1958年。
- 小倉鉄樹『山岡鉄舟先生正伝 おれの師匠』春風館、1937年(初版)。