生涯
大沢基宿の長男として誕生した。
慶長15年(1610年)、従五位下・侍従・右京亮に叙任する[注釈 1]。同年、部屋住ながら、2代将軍・徳川秀忠に召し出されて、「近侍」することになる。また、遠江国敷知郡内で1000石を賜る。慶長19年(1614年)、(大坂冬の陣)に際し、水野忠清の部隊に所属し参加する。元和元年(1615年)、(大坂夏の陣)に参加し、首一級を得る戦功を挙げる。
寛永9年(1632年)9月12日、父・基宿の隠居により家督を相続する。寛永17年(1640年)、基宿の死去により、その遺領と合わせて2550石余を領有する。寛永18年(1641年)3月、同年7月、正保2年(1645年)5月と3度にわたって朝廷に対する幕府の使者として上洛する。実質的な高家職の役割を果たす。正保2年(1645年)6月10日、従四位下に昇進する。慶安2年(1649年)7月、朝廷に対する幕府の使者として上洛する。慶安3年(1650年)5月26日、死去。享年49。
系譜
子女は3男3女。3女とも尚親の妹。