概要 崇神天皇の時、大国主神の術魂・荒魂を桙・楯・太刀や鏡に取りつけ西国に派遣され、国々のまつろわぬ人々を平服させた。この時、初めて男女に調物(税)が課せられた。その後、但馬国朝来郡の粟鹿村に住み、そこで亡くなった。大多彦命の墓は、美作国大庭郡米木原にあるという[2]。
美作国大庭郡の神直(みわのあたい)、石見国(大市郡)(邑智郡?)の神直、的大神直(いくはのおおみわのあたい)、倭三川部(やまとのみかわべ)、吉備国の品治部、葦浦君(あしうらのきみ)等の先祖とされる[2]。
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注釈
出典
- ^ a b c d e f 『粟鹿大明神元記』
- ^ a b 前之園亮一「神話研究における「粟鹿大明神大神元記」の史料価値:「神」概念の形成と出雲神話を中心に」『学習院大学文学部研究年報』第23号、学習院大学文学部、1976年、115-147頁、hdl:(10959/3058)、ISSN 04331117、CRID 1520290885415946240。
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