大園古墳(おおぞのこふん)は、大阪府高石市西取石にあった古墳。形状は帆立貝形古墳。現在では墳丘は失われている。
大園古墳 | |
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大園古墳跡 説明板 | |
所在地 | 大阪府高石市西取石8丁目 |
位置 | 北緯34度30分56.85秒 東経135度26分25.87秒 / 北緯34.5157917度 東経135.4405194度座標: 北緯34度30分56.85秒 東経135度26分25.87秒 / 北緯34.5157917度 東経135.4405194度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 | 墳丘長53m(または57m) |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪片 |
築造時期 | 5世紀末 |
史跡 | なし |
特記事項 | 墳丘は非現存 |
地図 | 大園古墳 |
概要
大阪府南部、信太山丘陵北西麓の低位段丘上に築造された古墳である。1974・1976年(昭和49・51年)に大阪府教育委員会・高石市教育委員会による発掘調査が実施されたのち、現在は消滅している[2]。
墳形は、前方部が短小な帆立貝形の前方後円形[2]。調査時点では既に墳丘は完全に削平されていたが、墳丘長は約53メートル[2](または約57メートル[3])、後円部は直径約34メートル、前方部は幅約25メートルを測った[2]。墳丘表面には葺石・埴輪が存在したと見られ、いずれも周濠内に転落したものが検出されている[2]。特に埴輪には円筒埴輪のほか、多数の形象埴輪(家形・人物形・馬形・鶏形・草摺形・盾形・靫形・蓋形・剣形埴輪)が認められている[2]。また墳丘周囲には幅3-4メートルの周濠が巡らされる[2]。埋葬施設は削平のため明らかでない。
この大園古墳は、古墳時代中期の5世紀末頃の築造と推定される[2][1]。本古墳を含む一帯の大園遺跡は古墳時代の大規模集落(掘立柱建物群)として知られ、本古墳はその首長墓に位置づけられる。また和泉地方北部では首長墓古墳として北群・南群の2群が認められるが、北群・南群にはそれぞれ時期的空白が認められることから両群が輪番制で首長を担ったと推定され、本古墳はそのうちの1つに位置づけられる[1][4]。
埴輪 鶏
大阪府立近つ飛鳥博物館展示。