大伴 三依(おおとも の みより)は、奈良時代の貴族・歌人。名は御依とも記される。大納言・大伴御行の子。官位は従四位下・(出雲守)。
経歴
天平元年(729年)頃に賀茂女王より贈られた和歌の内容から[1]、神亀年間から天平年間初頭にかけて大宰帥・大伴旅人と共に筑紫に赴いていたと想定される。聖武朝末の天平20年(748年)従五位下に叙爵。
孝謙朝では主税頭・三河守などを務める。淳仁朝では仁部少輔・(遠江守)・義部大輔を歴任する一方で、天平宝字3年(759年)従五位上、天平神護元年(764年)正五位上と昇進している。
称徳朝に入ると天平神護2年(766年)(出雲守)に任ぜられて地方官に転ずる。宝亀元年(770年)光仁天皇の即位と共に従四位下に昇叙される。宝亀5年(774年)5月25日(卒去)。最終官位は散位従四位下。
『万葉集』に短歌4首が採録されている[2]。また、同集内に作品1首が収められている大伴三林[3]を三依と同一人物とする説もある[4]。
官歴
『続日本紀』による。