大中臣 宿奈麻呂(おおなかとみ の すくなまろ)は、奈良時代の貴族。姓は中臣朝臣のち大中臣朝臣。右大臣・大中臣清麻呂の子。官位は正五位下・(阿波守)。
経歴
神護景雲3年(769年)一族と共に中臣朝臣姓から大中臣朝臣姓に改姓する。左京少進の官職にあった神護景雲4年(770年)日食が発生したため、幣帛と赤毛馬2頭を奉納するために、参議・藤原継縄と共に伊勢太神宮に派遣される。
宝亀2年(771年)従五位下に叙爵。その後、宝亀5年(774年)(下野守)、宝亀8年(777年)阿波守と光仁朝の後半において地方官を歴任する。またこの間、宝亀9年(778年)従五位上、宝亀11年(780年)正五位下と順調に昇進した。
父に先立って卒去したとされる[1]。
官歴
『続日本紀』による。
系譜
「中臣氏系図」(『群書類従』巻62所収)による。
- 父:大中臣清麻呂
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 長男:大中臣弟成
- 次男:大中臣弟人
- 三男:大中臣諸人
- 四男:大中臣諸公
- 五男:大中臣真公
- 六男:大中臣栗麻呂
脚注
- ^ 「中臣氏系図」(『群書類従』巻62所収)