経歴
元正朝末の養老7年(723年)(出羽守)を務めていた際、蝦夷征討に功績があった蝦夷52人に対して褒賞を行うように言上し、勅命により蝦夷に対して功績に応じ褒美の授与や叙位が行われた[3]。
聖武朝の天平9年(737年)従五位下・(因幡守)に叙任され、天平12年(740年)従五位上に昇叙され、天平13年(741年)鋳銭長官に転じる。孝謙朝にて、天平勝宝3年(751年)正五位下、天平勝宝6年(754年)従四位下と昇進している。なお、天平宝字元年(757年)には橘奈良麻呂の乱が発生し、兄弟の犢養・礼麻呂・鷹主が処罰されているが、乱における家主の動静は不明。
官歴
注釈のないものは『続日本紀』による。