坂上 正野(さかのうえ の まさの)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。大納言・坂上田村麻呂の五男。官位は従四位下・治部大輔。
経歴
掃部頭を経て、承和14年(847年)宮内大輔、承和15年(848年)治部大輔と仁明朝後半は京官を歴任し、この間の承和11年(844年)従五位上に叙せられている。
文徳朝に入っても嘉祥3年(850年)右馬頭と京官を務めるが、仁寿2年(852年)(相模守)に転じると、仁寿3年(853年)(越後権守)と地方官を歴任した。また、斉衡元年(854年)には正五位下に叙せられている。
清和朝の貞観2年(860年)従四位下に至る。貞観5年(863年)同じく漢系渡来人の秦比津麻呂が秦忌寸姓から民伊美吉姓への復姓を行う際に正野が上表を行っており[1]、当時漢系渡来氏族の氏上的な立場にあったか。
官歴
『六国史』による。
系譜
「坂上系図」(『続群書類従』巻第185所収)による。
- 父:坂上田村麻呂
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:坂上実雄
- 男子:坂上貞雄
脚注
- ^ 『日本三代実録』貞観5年8月8日条