この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2018年11月) |
生涯
5000石の大身旗本(土井利清)の次男として生まれる。本家の唐津藩主家を相続していた兄の利延が死去したため、その養子となって家督を相続した。
幕府では奏者番となった後、国替されて家祖利勝時代の領地古河へ復帰する。さらに寺社奉行を経て京都所司代にのぼり、老中の一歩前まで来たところで死去した。
利里も子に恵まれず、はじめ旗本(久世広武)の四男を迎え、利剛と名乗らせ養嗣子としていたが早世した。その後、川越藩主松平朝矩の長男を迎え、利建と名乗らせていたが、安永4年(1767年)に廃嫡した。次いで西尾藩主松平乗祐の十男の才百を迎え、利見と名乗らせ家督を相続させた。
年表
官歴
系譜
父母
正室
- 土井利知の娘
養子、養女