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歴史
長享2年(1488年)、郷士・上場(うえば)又三郎正欽(またさぶろうまさのり)が、蓮如を招き、自邸を寺に改めて創建された。
元亀元年(1570年)、本願寺十一世・顕如上人の時に、石山合戦が勃発し、当時の圓徳寺第4代目住職・了法が門徒を引き連れ加勢した。
この時、了法の忠勤が抜群だった為、顕如上人より『顕』の一字を給わり、了法を顕了と改めた。
以後、圓徳寺は代々の住職が『顕』の字を名前に用いる事が許された。
昭和63年(1988年)に圓徳寺開創500年を迎えたため、前年より本堂の大改修が行われた。
また、平成10年(1998年)には、山門(大門)や釣鐘堂の大改修が行われた。
伽藍
太鼓堂、釣鐘堂、本堂など。
文化財
井原西鶴が著した「椀久一世の物語」に圓徳寺が登場する。
今も圓徳寺には、椀屋久右衛門寄進の朱塗りの椀家具セット・十人前が多くの寺宝とともに所蔵されている。
出典
- 生野区サイト