略歴
大永7年(1527年)6月、島津貴久が島津実久により清水城を攻められた際、死を覚悟して城を守ろうとする貴久に脱出するよう進言し、6月15日、貴久を始め(山田伊代守)、(木脇祐兄)、(川越重実)、(長井善左衛門)、(鎌田政心)、(井尻祐宗)、貴久の乳母である宇多氏と共に、夜陰に紛れて城を脱け出す。敵軍50騎に追尾されるも、小野村の自分の屋敷[1]に貴久を匿いながら、無事に田布施の亀ヶ城まで貴久を送り届けた。
娘(広瀬氏、後に実窓院)は島津義弘の継々室(前室とは離縁)となった。その際、いったん娘を(広瀬助宗)の養女とした上で嫁がせている。その子は薩摩藩初代藩主・島津忠恒である。子孫は小野村に幕末まで続き、戦後の農地改革で小野の地を離れた。
脚注
- ^ 現在の小野4丁目・あけぼの幼稚園の敷地。
出典
- 『本藩人物誌』(鹿児島県史料刊行委員会)