国王巡察使(こくおうじゅんさつし、ラテン語: Missus Dominicus ミッシ・ドミニ、またはMissus Regis、独: Königsbote[1])は、ヨーロッパ初期中世の官職名。 フランク王の代理人として地方に派遣され、地方行政の査察・監督にあたった。
概要
メロヴィング朝のフランク王国にも同じ官職が存在しているが、正式に制度化されたのは、カロリング朝のカール大帝の時代である。802年の巡察使勅令が有名であり、フランク王国内を巡察使管区に区分した上で、高給聖職者と俗人貴族をおのおの1名ずつ中央から定期的に派遣し、担当する管区内を年4回巡回させている。これらの巡察使は、巡察使勅命により、国王に報告を提出することになっていた。
そのほか、地方行政・司法および軍事行政など、各分野において伯(グラーフ)の活動を監察する任務を帯びており、伯らによる地方行政機構を補完し、国王大権による強大な権限を有していた(具体的には地方行政のあらゆる分野における監督、官吏への不平の調査、ラント議会の開催、職権的証人訊問権を持つ巡察使裁判所の開設などを行っている)。しかし、カール大帝の死後は漸次衰退してゆき、巡察使の規則的交替も止まり、彼らはそれぞれの管区に定着して、地方的利害を担うようになっていった。
脚注
- ^ 東京創元社『西洋史辞典』より