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四条 隆昌(しじょう たかまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿。権中納言・冷泉為益の長男。官位は左近中将。四条家15代当主。
経歴
始め二条家諸大夫月輪家を相続し名を家賢といった。
天正3年(1575年)3月、前当主・(四条隆益)が死去し中絶していた四条家を再興し、名を隆昌と改めた。天正8年(1580年)1月に従四位下となったが、勅勘を蒙り摂津国の堺に出奔した。その間、正親町三条公兄の孫の(隆憲)、次いで隆致が四条家に迎えられている。しかし隆昌は、慶長6年(1601年)5月、徳川家康の奏請により、勅免出仕し四条家に戻った。このため当時四条家を継いでいた隆致の子・(隆朝)は別家を立て櫛笥家と称した。
慶長18年(1613年)5月12日、薨去。享年58。
系譜
脚注
参考文献
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- 橋本政宣 編『公家事典』吉川弘文館、2010年3月。ISBN (978-4-642-01442-7)。
- (近藤敏喬) 編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年9月。ISBN (4-490-20243-1)。
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