四十二章経(しじゅうにしょうぎょう)は、迦葉摩騰と(竺法蘭)が訳した、仏教最初の漢訳経典とされる経典である。
本経の序文に、明帝が大月氏に使者を派遣して写経させたとする記述があるほか、後漢桓帝の延熹9年(166年)の(襄楷)の上奏文中に本経との類似が見られ、後漢末から三国時代 (中国)には成立していたものと推定させられるが、伝世の経の内容は、南朝の南斉から梁にかけて成立したとされる。
但し、仏教伝来当初の、後世のような(訳場列位)に見られるような仏典漢訳システムが全く確立していなかった状況を考えると、後漢当時の漢訳仏典は、後世の首尾一貫した経典とは異なり、外来の僧徒によって説かれた内容が、中国人の奉仏者たちによって箇条書きの形式で記録され、現在見られる『四十二章経』のような形式で伝存していたものということは、十分考えられる。