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喝采 (曲)

喝采」(かっさい)は、ちあきなおみの楽曲で、13枚目のシングルである。1972年9月10日に発売された。発売元は日本コロムビア

喝采
ちあきなおみシングル
B面 最后の電話
リリース
規格 (7インチシングル盤)
ジャンル 歌謡曲
時間
レーベル 日本コロムビア
作詞・作曲 吉田旺(作詞)
中村泰士(作曲)
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間2位(オリコン
  • 1972年度年間66位(オリコン)
  • 1973年度年間4位(オリコン)
  • ちあきなおみ シングル 年表
    (禁じられた恋の島)
    (1972年)
    喝采
    (1972年)
    (劇場)
    1973年
    (テンプレートを表示)

    解説

    概要

    亡くなってしまった恋人を思いつつステージで歌っているという設定の曲である。

    1970年8月に発売された5枚目のシングル「」以来、通算3作目のオリコントップ10入りを果たした。発売から翌年にかけて[注 1]オリコン集計で通算80万枚を売り上げた。日本コロムビア調べでは累計130万枚[1]

    ちあきは本楽曲で『第14回日本レコード大賞』(1972年)の大賞を受賞した。発売されてから3ヶ月でのレコード大賞受賞は史上最短記録である[2]

    本楽曲は歌詞の設定や内容から、当時「ドラマチック歌謡」といわれた[要出典]。また、続けて発売されたちあきのシングル「(劇場)」、「夜間飛行」と併せて「ドラマチック歌謡三部作」ともいわれる[要出典]

    1972年の『第23回NHK紅白歌合戦』では本楽曲が歌唱された。

    1989年に発売されたアルバム『喝采〜紅とんぼ/吉田旺 参分劇』には、伴奏がピアノだけにアレンジされた新バージョンが収録された。

    2015年9月1日から、サントリーボス」のCMソング(「宇宙人ジョーンズシリーズSong&BOSS」)として使用されており、本楽曲の場面もCM内で再現されている(出演:ミッツ・マングローブ徳光和夫[3]

    舞台

    発売当時はちあきの実体験を元にして作られた「私小説歌謡」として売り出された。ちあきがデビュー前から兄の様に慕っていた若手役者が鴨方町岡山県)(現在の浅口市鴨方町)に住んでおり、亡くなったという話を詞にしたということだが、実際には作詞をした吉田旺はちあきのエピソードを知らずにこの詞を書いていた。小倉駅が舞台で若松市(現北九州市若松区)出身の吉田が東京へ行く思い出を書いており、歌詞が出来上がってから、ちあきの体験と偶然似ていたため、「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったといわれている[要出典]

    ちあき本人は上記の通りの自身の経験と偶然似ていた歌詞から、「私この歌は歌いたくない…」とマネージャーに言ったという[要出典]。その際、マネージャーは作詞者の吉田に対して「ちょっと辛い経験があって、それを思い出したようで」と言った[4]

    オリコンでの記録

    この曲はリリースして約2か月経った11月1週目でオリコンチャートの7位にランクされ、2週間後には2位まで上昇するが、宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」の1位獲得により、「喝采」が12週間(3ヶ月間)にわたり2位にランクインされた。

    なお、特信チャート((レコード特信出版社)調べのチャート)では、「女のみち」を抑えて最高位1位を記録している[5]

    エピソード

    作詞者の吉田旺は「歌い手をテーマにした詞を書いてみよう」と思い立ち、本楽曲の詞を完成させた[6]。吉田が最初に決めたタイトルは「幕が開く」だったが、当時のコロムビアのプロデューサーだった(東元晃)がそのタイトルに難色を示した。そして、東元が本楽曲のタイトルを「喝采」と命名した[6]

    作曲者の中村泰士服部良一作曲の「蘇州夜曲」や賛美歌の「アメイジング・グレイス」をベースとして本楽曲を作曲した[4]。中村は「ヨナ抜き音階」で本楽曲を作曲したが、当時「ヨナ抜き音階」は演歌では多く使われていたものの、ポップス系では使われておらず、中村にとってポップス系の本楽曲をシンプルな「ヨナ抜き音階」で作曲したことは会心の出来だったという[7]

    本楽曲の歌詞に出てくる「黒いふちどり」という部分は、「縁起が悪い」、「死を歌詞に持ち込むことはない」「いくら別れの歌でも殺す必要はない」と当初レコード会社や作曲者の中村泰士は歌詞を変えるよう提案した[6]。しかし、作詞者の吉田旺は「いや、ここが核だから」と頑なに変えず、コロムビアに対して「喪に関する言葉は水商売の世界じゃ縁起がいいんです」とまで言ってこの部分の歌詞を死守した[8]

    レコーディングの際には、周りを黒いカーテンで囲み誰にも姿を見せず、声を出すために裸足で臨んだという[9]

    本楽曲がレコード大賞を受賞した1972年は、上半期のヒット曲で「日本歌謡大賞」を受賞した小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が当初は大賞の最有力候補だった[要出典]。実際に本楽曲が発売された際に、審査員の一人[誰?]が作曲者の中村に対して「もう決めていたのになぁ。悩ましい曲を書かないでよ」と言ったというエピソードも残っている[10]。結果的には本楽曲が大賞を受賞したが、本楽曲を制作した当事者にとっては「まさか」の受賞だったという[11]

    ちあき本人の歌唱による英語版の歌詞も存在し、2000年に発売されたCD-BOX「ちあきなおみ・これくしょん~ねぇあんた~」に収録されている(英語詞:(清水マリヤ))。

    イントロがポール・サイモンの「母と子のきずな」に酷似している、という指摘があった[いつ?][誰によって?]

    2005年の『第56回NHK紅白歌合戦』に際してNHKが行ったアンケート「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」で、「喝采」が紅組の第45位にランクインした。

    収録曲

    1. 喝采BE-TWEEN STAGE )(3分31秒)
    2. 最后の電話LAST MESSAGE )(2分44秒)

    カバー

    本楽曲やちあきなおみから影響を受けたと公言している中村中も、テレビ番組のスタジオライブにおいてカバーしている。平原綾香エレファントカシマシもカバーしている。
    コロッケによるものまねでは、複数回題材にされている。

    脚注

    [脚注の使い方]

    注釈

    1. ^ 本作の発売時期と年間チャート集計時期の関係から、発売の翌1973年の年間チャート4位にランクインした。

    出典

    1. ^ 大下英治「第一章 メガヒット紆余曲折 「へーンシン!」で人気に火が点く」『日本ジャパニーズヒーローは世界を制す』角川書店、1995年11月24日、(ISBN 4-04-883416-9)、25頁。
    2. ^ 1972年に行われた『第14回日本レコード大賞』を振り返ってみよう!ミドルエッジ 2020年6月3日 更新
    3. ^ Song&BOSS CM動画サントリー
    4. ^ a b 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』(石田伸也著、徳間書店、2008年)p65
    5. ^ 週刊現代』2021年1月9日・16日号、89頁。
    6. ^ a b c 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』(石田伸也著、徳間書店、2008年)p66
    7. ^ 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』p65-66
    8. ^ 『ちあきなおみに会いたい。』(石田伸也著、徳間書店、2012年)
    9. ^ SONGS』(NHK、2013年11月16日)[信頼性要検証]
    10. ^ 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』p72
    11. ^ 『ちあきなおみ 喝采、蘇る』p73
    12. ^ “米倉利紀が初のカバー集で沢田研二、松田聖子、オリラブ、米米らを熱唱”. 音楽ナタリー (20105-08-26). 2015年8月27日閲覧。
    13. ^ “つるの剛士「つるのうた3.5」で和田アキ子、中山美穂ほかカバー”. 音楽ナタリー (2015年12月24日). 2015年12月25日閲覧。

    外部リンク

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