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略歴
天正8年(1580年)、小弓公方・足利義明の次男である足利頼純(頼淳)の次男として誕生した。
天正20年(1593年)、兄・国朝が(文禄の役)で九州に赴く途上の安芸国で病死したため、兄の正室であった足利氏姫が頼氏と再婚することで足利氏後裔喜連川家の名跡を継いだ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは頼氏は出陣しなかったが、戦後に徳川家康に対して戦勝を祝う使者を派遣したため1000石を加増され、喜連川藩が立藩された。
喜連川藩の知行地はわずか5000石弱に過ぎなかったが、江戸幕府を開いた徳川家康から足利氏末流の名族として重んじられ、10万石並の国主格大名の待遇を受けた。
系譜
父母
- 足利頼純(父)
- (佐野晴綱)の娘(母)
正室
子女
外部リンク
- 喜連川家書札礼(喜連川頼氏文書案) - 古典籍総合データベース(早稲田大学図書館)