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生涯
1932年、京城生まれ。京畿高等学校を卒業した後渡米し、ノースウェスタン大学経済学科を卒業、専攻を法学に変え1959年、ハーバード大学で法学博士号を取得する。1959年、延世大学校教授に着任、法哲学、英米法、韓国法制史の講義を担当し、新たな研究領域を開拓した。(梁承斗)と共同で韓国人の法意識に関する研究を実施、韓国語論文のほか英語論文を多数発表した。
1970年、朴正煕大統領の外交安全保障担当特別補佐官となり、1974年駐米大使として赴任した。朴正煕暗殺事件後は延世大学校教授に復帰し法哲学、東洋法制史、法人類学の講義を担当する。1982年全斗煥大統領の秘書室長に就任したが、1983年ビルマのラングーン事件に巻き込まれて殉職した。51歳没。
家族
咸秉春は副大統領を務めた独立運動家の咸台永の末子で、その長男に延世大学校政治外交学科の(咸在鳳)教授、次男に延世大学校法科大学の(咸在鶴)教授がいる[1]。
注釈
公職 | ||
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先代 (李範錫) | 大韓民国大統領秘書室室長 1982 - 1983 | 次代 姜慶植 |
外交職 | ||
先代 金東祚 | 在アメリカ合衆国大韓民国大使 第9代:1973 - 1977 | 次代 金溶植 |