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和緩翁主

和緩翁主(わかんおうしゅ、ファワンオンジュ、화완옹주、乾隆3年1月19日1738年3月9日) - 嘉慶13年5月(1808年))は、李氏朝鮮第21代国王英祖と暎嬪李氏の娘。荘献世子の同母妹。朝鮮第22代国王正祖の叔母。は蓉婉(ヨンワン、용완)。

和緩翁主
宗親世
翁主
出生年 乾隆3年1月19日1738年3月9日
没死年 嘉慶13年5月(1808年
実父 英祖
実母 暎嬪李氏
配偶者 (鄭致達)
子女 (鄭厚謙)(養子)

生涯

1738年、英祖と側室の暎嬪李氏の娘として誕生。幼少期から、英祖の寵愛を受けていた。

1749年には、少論派の重臣である鄭羽良(チョン・オリョン)の子の鄭致達(チョン・チダル)と婚姻。しかし、婚姻後も王女として絶大な影響力を持っていた。英祖は彼女を寵愛しすぎるあまりに、降嫁した彼女の家を幾度となく、訪れていた。

1757年には、前年に出産した娘と夫を亡くしてしまう。その後、英祖は未亡人となった彼女を哀れに思い、宮廷に戻るように命じた。1764年、夫の族兄の鄭錫達の子の鄭厚謙(チョン・フギョム)を養子にする。

1762年に発生した壬午士禍(実兄の荘献世子の米櫃餓死事件)にも彼女が加担したとも思われる。そのため、甥である正祖とは老論派の一員として、政敵となる。

しかし、1776年に正祖が即位すると、粛清の対象となる。養子で戸曹参判の鄭厚謙は流罪されたのち、処刑された。彼女も翁主の称号を剥奪され、平民に降格された。彼女ものちに江華島流刑された。

彼女を流刑にした後も臣下から彼女の処刑を求める声があったが、正祖は拒否した。1799年には正祖に罪を許された。以前と同じように、宮廷で余生を過ごした。

家族

  • 父:英祖
  • 母:暎嬪李氏(1696年 - 1764年)
    • 長姉:(和平翁主)(朝鮮語版)(1727年 - 1748年)
    • 次姉:和協翁主(1733年 - 1752年)
    • 兄:思悼世子/荘献世子 李愃(1735年 - 1762年)- 第22代国王正祖の実父。追贈王(廟号: 荘祖)
    • 他、姉3人があったがいずれも夭折。
  • 夫の父:(鄭羽良)(朝鮮語版)(1692年 - 1754年)
  • 夫:(鄭致達)(朝鮮語版)(1732年 - 1757年)
  • 養子:(鄭厚謙)(朝鮮語版)(1749年 - 1776年)

登場作品

映画
テレビドラマ

外部リンク

  • (孝寧大君派 卷之十四)
  • 和緩翁主 - 朝鮮新報
  • bookpot
  • [1]
  • 承政院日記
  • 徳水李氏系譜
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