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吉田 冬方(よしだ ふゆかた)は、鎌倉時代後期の公卿。藤原北家勧修寺流吉田家、権大納言・吉田経長の三男。官位は従二位・権中納言。
経歴
元亨3年(1323年)1月13日に参議に任ぜられるが、元徳元年(1329年)9月10日に出家し端昭と号した。その後の活動については解っておらず、没年も未詳である。
吉田家(のちの甘露寺家)と北条貞顕は、貞顕が鎌倉幕府15代執権となる前、六波羅探題として在京中に互いに繋がりがあり、その中でも冬方とは深く交流したとされている。この縁により、貞顕と吉田家出身とされる薬師寺殿との間に生まれた北条貞冬に「冬」の偏諱を与えたとされている[1]。
脚注
- ^ 永井(2003)19頁。
出典
- 永井晋 『金沢貞顕』吉川弘文館 人物叢書、2003年