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吉水園

吉水園(よしみずえん)は、広島県山県郡安芸太田町にある日本庭園である。基本的には一般公開されていない。

吉水園
分類 庭園
所在地
座標 北緯34度36分42.1秒 東経132度19分19.1秒 / 北緯34.611694度 東経132.321972度 / 34.611694; 132.321972座標: 北緯34度36分42.1秒 東経132度19分19.1秒 / 北緯34.611694度 東経132.321972度 / 34.611694; 132.321972
事務所 加計隅屋
事務所所在地 安芸太田町加計神田3340
公式サイト 吉水園
(テンプレートを表示)

概要

この地でたたら製鉄を営んでいた山師・加計隅屋の16代目当主佐々木八右衛門正任が、1781年(天明元年)に造った庭園である[1]。現在も加計隅屋が管理する民間庭園であり、代表は24代目当主の加計正弘[2][3]。加計正弘は加計慎太郎の長男で[4]加計正文の孫にあたる。一般公開は春と秋の土日に限られている。

広島県指定名勝[1]。また園内に生息しているモリアオガエルは県指定の天然記念物となっている[1]

鈴木三重吉が小説『山彦』の構想を練った場所でもある[5]

公開

一般公開は春と秋の土日に限られている。入場時間は9:00-17:00で、料金は200円。

  • 6月
    • 第1土曜日・日曜日 - かえるまつり
    • 第2土曜日・日曜日 - 春の一般公開
  • 11月
    • 第2土曜日・日曜日 - 秋の一般公開、五サ一市
    • 第3土曜日・日曜日 - 秋の一般公開

園内

映像外部リンク
  モリアオガエル (天然記念物)と 吉水園 - 広島ニュース 食べタインジャー

回遊式庭園[2][6]。加計の中心から見て北側の丘陵に位置する[1]

中央に「玉壺池」、北端の山沿いにあずまや「吉水亭」を配し、西側に稲荷社琴平社に加え金屋子神を祀る金屋子社を勧請し、南側に松林庵薬師堂、東側が表門となる。

  • 吉水亭 - 天明2年(1782年)加計の森脇弥右衛門が建てた数寄屋風の入母屋造萱葺平屋、二畳と四畳の2間で構成されている[1]。裏手には吉水井と呼ばれる湧き水がある。亭内には加計隅屋の美術品が展示されている。1991年(平成3年)から2年がかりで老朽化に伴い復元工事が行われている[7]
  • 金屋子社 - たたらの神様。天明2年、出雲国比田(現安来市)の(金屋子神社)から勧請したもの[2]
  • 松林庵薬師堂 - 天明3年、近くの台之原から移築したもの[2]
  • 江戸モミジ
  • モリアオガエル
  • 山彦文学碑 - 昭和30年(1955年)加計三重吉顕彰会が結成され、昭和32年(1957年)9月28日に除幕した。高さ2m☓幅0.7m[5]

回遊式ではあるが吉水亭からの遠景を楽しめる造りとなっており、南側を流れる太田川を見下ろすことができる[2][6]。鈴木三重吉『山彦』の中で

満庭すべて楓の古木ばかりである — 山彦[8]

俳人・山口誓子はここを訪れ句をいくつか残している。

藻の畳 もりあをがへる 落ちてよし — 山口誓子句碑[9]

歴史

この地は古くからたたら製鉄の盛んで、加計隅屋の本拠地であった[3]。隅屋は江戸時代において中国地方最大手のたたら鉄山師となり、繁栄を極めた[2]。その隅屋の当主・佐々木八右衛門正任がこの辺りの地割を用い別荘(山荘)を建てることを思いつく[2]

天明元年(1781年)9月、着手。まず9月17日から40日かけて池と築山から始める[2][7]。天明2年(1782年)吉水亭と金屋子社を建立、天明3年(1783年)松林庵薬師堂を移築している[2][7]

天明8年(1788年)、広島藩庭の泉水屋敷(縮景園)を改修した京都庭師の(清水七郎右衛門)を招き入れ、3度に渡る大改修を行い、文化4年(1807年)現在の庭園の姿となった[2][7]

ここを来園した著名人は少なくない。 文化4年(1807年)つまり吉水園が改修完成した年に浅野氏広島藩8代藩主浅野斉賢は従者400人とともに、文久元年(1861年)には11代藩主浅野長訓が従者を伴い来園している[2]。なお、清水七郎右衛門を広島藩に呼び寄せたのは斉賢の父にあたる7代藩主浅野重晟であり、斉賢も藩庭・縮景園の大改修を行っている[10]。近代以降では、河東碧梧桐山口誓子鷹羽狩行坪田譲治湯川秀樹夫妻、岸田劉生東山魁夷夫妻、岸信介が来園している[2]

明治39年8月27日鈴木三重吉は廣島から太田川をさかのぼること十三里加計町に加計正文をおとづれ翌28日から9月3日迄正文とともにこの吉水亭に宿泊し小説「山彦」の構想を練った。「山彦」は夏目漱石から激賞された處女作「千鳥」についで三重吉の文名を一層高からしめた三重吉の第2作である。私は昭和30年10月23日ここをたづね三重吉の詩的想像力の豊かさがここで見出されたさまざまの材料にいかにみごとに新らしい命を吹き込んでいるかを知りいまさら三重吉を追慕するの情をとどめ得なかった。

— 小宮豊隆自筆の山彦文学碑文[5]

昭和26年(1951年)県の名勝に指定[6]

交通

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h “広島県の文化財 - 吉水園”. 広島県教育委員会. 2015年4月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l history.
  3. ^ a b “第4回 吉水園と鉄山絵巻”. 友鉄工業. 2015年4月3日閲覧。
  4. ^ 『人事興信録 第15版 上』カ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月9日閲覧。
  5. ^ a b c “鈴木三重吉記念碑めぐり”. 広島市立図書館. 2015年4月3日閲覧。
  6. ^ a b c “吉水園”. 国交省温井ダム管理所. 2015年4月3日閲覧。
  7. ^ a b c d “吉水園(よしみずえん)”. ひろしま文化大百科. 2015年4月3日閲覧。
  8. ^ “江戸モミジ”. 吉水園. 2015年4月3日閲覧。
  9. ^ “山口誓子句碑”. 吉水園. 2015年4月3日閲覧。
  10. ^ 広島県環境県民局 (2012年4月). “名勝縮景園保存管理計画書” (PDF). 2015年4月3日閲覧。

参考資料

  • 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • “吉水園の歴史”. 吉水園. 2015年4月3日閲覧。

外部リンク

  • 名勝吉水園
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