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可能世界論

可能世界論(かのうせかいろん、: possible world)は、論理学哲学において、可能性、必然性、偶然性などの様相命題を論理的に扱うための理論的装置である。可能世界の概念は論理学において広く定着しているが、その解釈の仕方を巡っては議論も多い。

可能性、偶然性、必然性

可能世界の考えはライプニッツに始まるとされる。ライプニッツは可能世界の概念を神の心に結びつけて用い、現実に創造された世界が「全ての可能世界の中で最善のものである」と論じた。また可能世界のアイディアはルクレティウスイブン・ルシュドヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの著作に遡ることができるとする研究者もいる。

現在の可能世界論は、可能性や必然性の意味論を扱うため、ソール・クリプキらによって1950年代に導入された。可能世界論では、現実世界は無数の可能世界のなかの一つであると考える。世界について考えうる異なる「あり方」ごとに異なる可能世界があるとされ、そのなかで我々が実際に暮らしているのが「現実世界」である。これに基づき、可能性や必然性について、以下のように分析することができる。

  1. 真なる命題とは、現実世界において真であるような命題である。
  2. 可能な命題とは、少なくとも一つの可能世界において真であるような命題である。
  3. 偶然的な命題とは、それが真である可能世界も、偽である可能世界も存在するような命題である。
  4. 必然的な命題とは、全ての可能世界で真であるような命題である。
  5. 不可能な命題(必然的に偽の命題)とは、全ての可能世界で偽であるような命題である。

「クリプキ意味論」はしばしば可能世界意味論と同義で扱われるが、クリプキ意味論は必ずしも必然性・偶然性といった真理論的様相に限った理論ではなく、また「可能世界」という表現から前提されがちな(様相実在論)的な意味合いはない。

様相論理から哲学へ

「可能世界」は様々な哲学的探究において中心的な位置を占めた。中でも、デイヴィッド・ルイスと(ロバート・スタルネイカー)による、近傍可能世界を用いた(反事実条件文)の分析は有名である。この分析では、我々が反事実条件文を用いて「もし...だったとすれば、...だっただろう」と論じるとき、その主張の真偽は、その前件を満たすような最も現実世界に近い世界において、後件が真かどうかによって決定される。「近い世界」とは、できるだけ多くの事実を共有している世界、ということである。

例えば「2000年のアメリカ大統領選挙でブッシュが大統領にならなかったとしたら、ゴアが大統領になっていただろう」という文は、次のような主張を表現したものだと定式化することができる。「ブッシュが大統領にならなかった可能世界のうち、我々の現実世界に最も近い全ての世界において、ゴアが大統領になっている」。この解釈に基づけば、もしブッシュが大統領にならなかった現実世界に最も近い世界のうち、ゴアも大統領になっていないような世界があるとすれば、この反事実条件文によって表現された主張は「偽」である、ということになる。

このほかにも可能世界論は哲学の議論において中心的役割を演じている。例えば心の哲学における機能主義物理主義をめぐる議論がそれである。また可能世界の存在論的位置づけについて、デイヴィッド・ルイスが(様相実在論)を擁護したことで、論争が加熱している。様相実在論は、我々の住んでいる世界の外に可能世界が「実際に存在する」とする議論である。

ルイスは、様相論理が機能し可能世界意味論が正しいとすれば、世界において何が真でなければいけないのか、我々が様相表現の解釈において量化している可能世界とはいったい何なのか、を問うた。そして、我々が量化している可能世界とは、この現実世界が「存在する」のと同様の意味で存在している、実在的かつ具体的な世界にほかならないとした。そうした諸可能世界は、我々の現実世界との間にいかなる空間的・時間的・因果的関係も持たないという点で現実世界から区別されるにすぎないのである。ルイスによれば、現実世界が持っている特別な性質というのは唯一、関係的なものでしかない。つまり、「我々が」そこに住んでいる、という性質である。即ち「現実に」は、「私」や「今」といった概念と同じように指標的なものにすぎない、ということになる。

一方、(ロバート・アダムズ)や(ウィリアム・ライカン)は、ルイスによる描像は形而上学的に突飛に過ぎるとして拒絶し、可能世界を、世界についての無矛盾で最大限詳細な記述ないし命題の集合であるとする。この解釈では、可能世界は「あるあり方をした世界」ではなく、「世界がそのようでありうるようなあり方の記述」であることになる。この立場や、(アルヴィン・プランティンガ)や(ピーター・フォレスト)による類似した議論を、ルイスは「代替様相実在論」と呼び、そのような立場は可能世界意味論の御利益を「安く買い叩こうとする」ものであり、究極的には適切な説明に失敗する、と反論している。クリプキは著書『名指しと必然性』のなかでルイスの可能世界意味論の使用に対してオープンな議論を行い、可能世界を純粋に形式的・論理的な存在物とする規約的な見方を擁護し、可能世界を現実に存在する世界とする議論や、命題や記述の集合とみる見方を退けている。

参考文献

  • 飯田隆『言語哲学大全I』勁草書房、1987年10月。ISBN (978-4-326-15200-1)http://www.keisoshobo.co.jp/book/b26780.html 
  • 飯田隆『言語哲学大全III 意味と様相(下)』勁草書房、1995年11月。ISBN (978-4-326-15311-4)http://www.keisoshobo.co.jp/book/b26871.html 
  • ソール・A・クリプキ『名指しと必然性 様相の形而上学と心身問題』八木沢敬野家啓一 訳、(産業図書)、1985年。ISBN (978-4-7828-0022-5)http://www.san-to.co.jp/page13 
  • 三浦俊彦『可能世界の哲学 「存在」と「自己」を考える』日本放送出版協会〈NHKブックス No.790〉、1997年。ISBN (978-4-14-001790-6)https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00017901997 

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