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古渡城

古渡城(ふるわたりじょう)は、1534年天文3年)に織田信秀により尾張国愛知郡、現在の愛知県名古屋市中区に築城された日本の城平城1548年(天文17年)に廃城となった。織田信長元服した城として知られる[1]

古渡城
愛知県
古渡城址
城郭構造 平城
築城主 織田信秀
築城年 天文3年(1534年
主な城主 織田信秀
廃城年 天文17年(1548年
遺構
指定文化財 未指定
位置 北緯35度9分8.09秒 東経136度54分7.05秒 / 北緯35.1522472度 東経136.9019583度 / 35.1522472; 136.9019583北緯35度9分8.09秒 東経136度54分7.05秒 / 北緯35.1522472度 東経136.9019583度 / 35.1522472; 136.9019583座標: 北緯35度9分8.09秒 東経136度54分7.05秒 / 北緯35.1522472度 東経136.9019583度 / 35.1522472; 136.9019583
地図
古渡城
(テンプレートを表示)
古渡城跡碑がある真宗大谷派名古屋別院

歴史

天文3年(1534年)、織田信秀が東南方に備えるために築城した城。信秀は今川氏豊から奪った那古野城を、嫡男吉法師(織田信長)に譲り、この城を拠点とした。

東西140メートル、南北100メートルの平城で、四方を二重の堀で囲まれていた[2]。天文15年(1546年)、信長は古渡城にて13歳で元服する。天文17年(1548年)、美濃に侵攻した信秀の留守を狙い、清洲の守護代織田信友の家臣坂井大膳らが城下に攻め寄せ、この際に町は焼かれたが、落城はしなかった。同年、信秀は末森城を築いて移ったため、古渡城はわずか14年で廃城となった。遺構として、真宗大谷派名古屋別院敷地内にある古渡城跡碑と、古渡城の堀跡を利用した下茶屋公園(真宗大谷派名古屋別院に隣接)がある。

所在地

  • 愛知県名古屋市中区2-8

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 「織田信長ガイドブック」愛知県公式HP
  2. ^ 日本城郭大系』 9巻、新人物往来社、1979年、299頁。 

外部リンク

  • 「織田信長ガイドブック」愛知県公式HP
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