半井 瑞策(なからい ずいさく、1522年(大永2年)- 1596年10月16日(慶長元年8月25日))は、室町時代後期から安土桃山時代の医師である。名は光成。通称は2代驢庵。
経歴・人物
半井明親の子および(半井明英)の弟として生まれる。幼年期より医学を学び、宮内の大輔に任じられた。後に医師となり、正親町天皇の典侍であった万里小路房子の疾患を治療した。
これにより、天皇から「通仙院」という院号や『医心方』を賜り、瑞策の父である明親の墓が所在する大徳寺境内の真珠庵に書院1棟が建てられた。この書院は後に通遷院と名付けられ、重要文化財に指定されている。それ以外の書院は、瑞策の子孫である(半井成近)の頃に江戸の元吉原に移したが全て明暦の大火で焼失した。晩年には法印に叙せられ、医官の最上級にも叙せられた。