千坂 興高(ちさか おきたか)は、江戸時代後期の米沢藩の江戸家老・奉行。戊辰戦争当時の米沢藩奉行・軍務総督千坂高雅の祖父。
経歴
文化2年(1805年)7月8日兄千坂高容の病気致仕により、家督相続。侍組。
文化9年(1812年)2月23日侍頭。
文化13年(1816年)11月8日江戸家老、侍頭兼帯。
文政6年(1823年)12月19日奉行。
天保2年(1831年)1月11日、上杉治広・上杉顕孝の「御年譜」完成に付き、藩主から、担当した千坂興高並びに御記録方に賞賜[1]。
天保5年(1834年)7月死去。
脚注
- ^ 『上杉家御年譜14』P262
出典
- 『上杉家御年譜23「御家中諸士略系譜」』米沢温故会 1986.1(経歴)
- 『上杉家御年譜14(斉定公2)』米沢温故会 1981.7