概要
749年(天平21年)1月18日、僧行基、大壇越左大臣橘諸兄が寺院を造営[2]。1580年(天正8年)の兵火により堂宇を焼失。1645年(正保2年)に再建。1855年(安政3年)3月18日、火災により堂宇、古文書、経典等を失う。1878年(明治11年)9月18日に本堂を再建。1982年(昭和57年)に収蔵庫を新築、1983年(昭和58年)に本堂を改築。
全盛期は寺領が20haあり、塔頭の西住院をはじめ、備前、福寿、新、中、常住、伊豆、円衆、世尊、東、普賢の10坊があり、甲賀六大寺の1つに数えられた大きな寺であった。隣接する八坂神社の別当を兼ねていた。
1860年(万延)以来、僧覚雄が八坂神社の祭田を開いたことで柏木郷と紛争となり、覚雄が脱走してから廃寺同様になっていた。
文化財
収蔵庫に保管されている。事前連絡をすれば拝観可能。
年中行事
- 1/17、18 - 堂頭の儀式[2]
- 4/17、7/17 - 回向護摩法要
- 9/17 - 会式・護摩法要
札所
- 近江西国第三十三箇所第27番[2]
- 甲賀西国三十三所第23番
境内
- 本堂
- 収蔵庫
- 宝塔
- 手水舎
- 釣鐘堂跡
- 歴代住職・無縁仏