歴史駅構造 相対式ホーム2面2線を有する貨物駅を兼ねる駅だった。晩年は駅舎側のホームのみを使用していた。貨物としては米、縄などの需要があった。塚町方に農協倉庫への貨物用の引込線が分岐していた。
駅構内に県道が通り、駅員が遮断機を手動で上げ下げする第二種踏切があった。
駅跡 駅の名をとどめるものは残っていない。跡地より五分市方の路盤跡は電田ひろば(公園)[3]に整備され、記念案内板が設置されている。五分市方の浅水川(あそうずがわ)に浅水川鉄橋(2代目)が残る。
隣の駅脚注 [脚注の使い方]
- ^ a b [1](国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 寺田裕一 「私鉄の廃線跡を歩くⅢ 北陸・上越・近畿編」、JTBパブリッシング、2008年5月、p.166、(ISBN 978-4-533-07145-4)
- ^ 北新庄地区自治振興会 この場所に手づくりの公園をつくりました
参考文献 - 『ありし日の南越線』福井鉄道 鉄道運輸課 1999年
- 『南越線開業100年』越前市 (武生公会堂記念館) 2014年7月18日
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