概要
城主勝間田氏は古くから当地((勝田庄))を本領とし、鎌倉時代には御家人、室町時代には奉公衆として幕府に仕え、鎌倉後期に『夫木和歌抄』の選者である勝間田長清を輩出するなどした名族である[3]。勝間田城の南西、菊川流域を支配した横地城の(横地氏)とは同族とされる。
城跡は、牧ノ原台地から駿河湾に注ぐ勝間田川の上流部となる標高130メートルほどの丘陵地にある。築城年代は15世紀半ば頃と考えられている[3]。尾根の最上部に「本曲輪」・「二の曲輪」・「三の曲輪」という三つの主要区画があり、周囲の稜線にも曲輪や堀切、土塁、空堀などが残っている。現在は発掘調査ののち史跡公園となり、遺構のほか駐車場やトイレなども整備されている[4][5]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
- 『国・県指定の文化財』牧之原市ホームページ
- 『勝間田城跡』牧之原市観光協会ホームページ