概要
勝沼城は、三田氏により築かれた平山城。築城年代は詳らかでないが、鎌倉時代から続く名族三田氏の居城として、16世紀半ばまで用いられた。三田氏が北条氏照により滅ぼされた後は(師岡将景)が城主となり、城名も師岡城と改められた。詳しい廃城時期は不明だが、1590年(天正18年) 豊臣秀吉による小田原征伐後に廃城になったと考えられている[1]。
歴史・沿革
構造
加治丘陵端の尾根上に占地し、本丸を中心に、尾根方面に三の丸、丘陵端方面に二の丸を配置している。この三郭を取り囲む様に横堀が全周に設けられ、二の丸には東面及び南面に馬出しが設けられている。また、二の丸及び三の丸には折れが設けられており、虎口及び馬出しを守る構造となっている。
考古資料
遺構
1925年(大正14年)に旧跡に、1976年(昭和51年)に歴史環境保全地域に指定されたため、一部が墓地として開かれているものの遺構は比較的よく残り、郭、空堀及び土塁が現存する。1993年(平成5年)には東京都指定史跡に指定された[1]。
観光
アクセス
脚注
参考文献
- 『資料青梅市の中世城館跡』 青梅市教育委員会 1990年
- 「青梅市史 上巻」、青梅市市史編さん委員会、1995年
関連項目
- (日本の城一覧)