歴史
1544年(天文13年)、(内藤秀行)の開基である。内藤秀行は田代城の城主であり、墓も当寺にある[1]。
当寺の山門は、当地に住む宮大工によって造営された。この宮大工は日光東照宮の造営にも関わった高い技術を持っており、当時の棟梁が親子二代かけて造営したものである[2][1]。
当寺は、遠江国引佐郡奥山村(現・静岡県浜松市北区)の方広寺の半僧坊大権現を勧請したことから、「田代半僧坊」とも呼ばれている[2]。
文化財
- 勝楽寺の山門(愛川町指定建造物 昭和54年7月1日指定)[3]
交通アクセス
- 路線バス半僧坊前停留所より徒歩3分。
脚注
参考文献
- 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年