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生涯
最初は(竹本氏)を称して織田信長に仕えたが、永禄11年(1568年)伯父(加藤利正)が徳川家康に仕えていた事からその縁を頼って転仕し、苗字も加藤氏と改める。元亀元年(1570年)姉川の戦いでは、天野康景と共に味方に紛れた敵兵を倒す武功があった。元亀3年(1573年)従兄の(加藤正信)が三方ヶ原の戦いで戦死すると、その妹を妻に迎えて家督を継承する。以後は長篠の戦い、小牧・長久手の戦い、小田原征伐に従軍。天正18年(1590年)武蔵比企郡・上総望陀郡に2000石を与えられた。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは使番を務める。戦後は京都所司代奥平信昌属下として京都を警固するが、翌年免職・蟄居となった。慶長8年(1603年)までには赦免され、同年の家康上洛に供奉している。