生涯
劉備の妾の子として生まれ、馬超の娘を娶った。221年、父が皇帝に即位すると、梁王に封じられた。
しかし229年、蜀と呉は、魏の滅亡後を仮定して、天下の分割を決めたが、梁が呉に含まれるため、230年、兄の劉禅により安平王に改封された。しかし、病のため244年に死去。悼王と諡され、子の劉胤が継いだ。
劉胤は256年に若くして死去し、後を子の(劉承)が継いだ。しかし劉承も翌257年に急逝した。3代続けての不幸であった。劉禅はこれを悼み、劉胤の弟である武邑侯(劉輯)に王位を継がせた。264年、劉輯は、劉禅、劉永と共に洛陽に強制的に移住させられた。そこで、劉永と同じく奉車都尉に任じられ、郷侯に封じられた。
小説「三国志演義」
穆皇后の実子という設定になっており、223年に諸葛亮、劉永と共に白帝城で劉備の遺言を聞いた。
その後は登場しない。