棋歴 1972年に4級で奨励会入会。1974年、20歳でプロ入り(四段昇段)。4級入会とは言え、奨励会を2年5ヶ月で卒業したのは、同じく4級入会で、1981年に所要2年4ヶ月で四段昇段した塚田泰明を除けば他に例がない。
順位戦C級2組、C級1組をそれぞれわずか2期で抜けた。B級2組では五分に近い星が続きなかなか昇級争いに絡めなかったものの、1985年にB級1組に昇級した[2]。
1986年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントにおいて、ひねり飛車戦法を駆使して塚田泰明、谷川浩司、中原誠といった一流棋士を次々と撃破して決勝進出。そして迎えた森雞二との決勝戦は、千日手指し直しの末に勝利した。
2003年、現役通算400勝。
40歳以降は徐々に順位戦のクラスを下げ、2004年度の順位戦C級2組で3つめの降級点を取って、フリークラスに降級した。
2014年6月4日、第27期竜王戦ランキング戦6組昇級者決定戦の千田翔太四段戦の敗戦を以って、引退となった。
人物 - 大柄な体格で神吉宏充と双璧をなす。先崎学のエッセイによれば神吉と同じで冗談が好きで明るい性格といわれている。
- かつては大山康晴の側近であった(プロ入り直後に大山から、たびたびの、私生活についての助言を受けたため[2])。
- 1982年頃、結婚願望が強まり、ダイエットに励む日々を送る。そして、尊敬する先輩の宮田利男からアドバイスをもらい、それに実直に従ったことで願望が叶った。[3]
- 結婚の際に夫人から体重が80kgを超えたら離婚すると条件提示されたため、結婚後も体重維持に励んだ。結果的にそれが盤の前での集中力上昇につながり、1985年にB級1組昇級を果たした。[2]
昇段履歴 - 1972年 4級 = 奨励会入会
- 1973年 初段
- 1974年9月4日 四段 = プロ入り
- 1978年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1980年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1985年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
- 2000年9月19日 八段(勝数規定)
- 2014年6月4日 引退(フリークラス棋士引退規定)
- 2019年4月1日 九段(引退棋士規定)
主な成績 棋戦優勝
- 優勝合計 1回
通算成績
在籍クラス
その他表彰
著書 - 将棋格言集 スラスラ覚える(1979年10月、山海堂、(ISBN 4-381-00599-6))
- スラスラ勝てる将棋必死集(1980年1月、山海堂、(ISBN 4-381-00600-3))
- 次の一手・格言で覚える手筋(1988年4月、創元社、(ISBN 4-422-75071-2))
- 将棋必死集(1994年2月、山海堂、(ISBN 4-381-07119-0))
- 将棋 詰めるための戦法を豊富な図版で再現 めざせ名人位!(1998年2月、フレーベル館、(ISBN 4-577-01824-1))
脚注 [脚注の使い方]
- ^ “前田祐司八段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
- ^ a b c “「前田八段の"お目を拝借"」第2手「"ま坂"を登って七段に」”. 日本将棋連盟 (2019年2月13日). 2019年3月25日閲覧。
- ^ “「前田八段の"お目を拝借"」 第1手「婚活」”. 日本将棋連盟 (2019年1月22日). 2019年3月25日閲覧。
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