沿革
寿永2年(1183年)に比叡山延暦寺の僧・寂円により天台宗の寺院、法泉寺として現在の岐阜市長旗に開創される。2世(寂世)が親鸞に帰依して浄土真宗の寺となり、寺号を常泉坊に改めた。
天文16年(1547年)に織田信秀が加納口の戦いに敗北し、多くの敗死者を出すとそれを弔うための塚が寺内に設けられた。この塚は現在でも残っており、織田塚として岐阜市の文化財に指定されている。
永禄7年(1564年)に織田信長が岐阜城主となると土地を寄進されて現在地に移った。その際門前に市が開かれる。
永禄10年(1567年)と永禄11年(1568年)に織田信長が楽市楽座の制札を発給した。
その後岐阜城主となった池田輝政も楽市楽座の制札を掲げ、織田信長の制札と共に平成5年(1993年)に国の重要文化財に指定された。
文化財
重要文化財(国指定)
脚注
- ^ 平成5年6月10日文部省告示第81号