内藤 元勝(ないとう もとかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。安芸国(中郡衆)である(安芸内藤氏)の一族で、父は実務官僚として重用された内藤元栄。
生涯
天文22年(1553年)、毛利氏家臣の内藤元栄の子として生まれる。
慶長17年(1612年)1月3日、父・元栄から知行を譲られる。寛永2年(1625年)8月13日付で益田元祥、清水景治、(宍道元兼)の連署で出された御配所付立では、元勝の知行は周防国都濃郡久米村[1]の内の1117石4斗1升と、長門国阿武郡地福村[2]の内の182石5斗9升の合計1300石とされている。
寛永6年(1629年)2月6日に死去。享年77。同年閏2月14日に嫡男の(就勝)が跡を継いだ。また、元勝の次男・就久は、元和4年(1618年)に後継のいないまま死去した内藤広泰の婿養子となって(安芸内藤氏)の本家を継いだ。