祭神
歴史
社伝では、山城内臣の死後に祀ったのが創建とされる。相殿に祀られる味師内宿禰は、山城内臣の祖神として後に合祀されたと考えられている[1]。山城内臣の詳細は不明で、人名ではなく氏族名とも考えられ、『新撰姓氏録』には「大和国 内臣 孝元天皇皇子彦太忍信命之後也」という氏族としての内臣の記載がある。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国綴喜郡に「内神社二座」と記載され、式内社に列している。中世には「春日宗像神社」と称されていた。
『神社明細帳』によると、室町時代に大永の戦乱に遭い、天正年間に現在地に遷座されたという。旧社地は当社南東にあり、現在も「内里古宮」という字として残っている。
平成13年10月から14年9月まで「内里区造営事業」として、現在の本殿及び境内が整備された。
境内
境内は内里の集落の西端に位置し、周囲には水田が広がる。本殿は一間社流造、屋根は銅板葺で、平成14年の造営になる。
本殿の左脇には旧本殿が立っている。現本殿同様、一間社流造で銅板葺である。平成13年から14年の整備に際して、現本殿の鎮座地から移築保存された。それに伴って寛保3年(1743年)の墨書銘が発見され、ある程度の建築年代特定がなされている。建物は京都府登録文化財に登録されている。
拝殿
旧本殿(京都府登録文化財)
摂末社
- 厳島神社
- 奇神社
- 稲荷神社
文化財
京都府登録有形文化財
- 旧本殿(建造物) - 昭和58年登録。
京都府文化財環境保全地区
- 内神社文化財環境保全地区
現地情報
所在地
交通アクセス
脚注
- ^ 外部リンクの八幡市観光協会ページ参照。
参考文献
- 『日本歴史地名大系 京都府の地名』(平凡社) 内神社項
関連項目
外部リンク
- 内神社(八幡市観光協会ホームページ)